由緒

白山神社 本殿

本殿に祀られている神様

<主祭神>
菊理媛大神(白山大神=白山比淘蜷_)
 
伊邪那岐命
 
伊邪那美命
 
<配祀神>

白山大神と関わりの深い古くより本殿におまつりしている神様

天照皇大神
 
八幡大神
家内安全、交通安全、厄除け、開運、安産
<合祀神>

明治六年(1873)白山公園造成にあたり、境内(現在の公園)に点在していた神社の神様を本殿にお遷しし、
おまつりした神様

住吉大神
海上守護、大漁満足、和歌の神、子授け
稲荷大神
農産守護、商売繁昌、事業繁栄、芸能上達
天満天神(菅原道真)
学業成就、受験合格、書道の神、芸能守護
出雲大神(大国主命)
国造りの神、縁結び、五穀豊穣、商売繁昌
春日大神
神祇奉祀
鹿島大神
武道の神、武運の神、地震の神、安産
香取大神
武道の神、武運の神、勝運
松尾大神
酒造の神、生産守護、山の神、林業の神
宮地大神
宮地守護(白山神社の宮地の守護)
三峰大神
火除け、盗難除け、病気除け、災難除け
猿田彦大神
導きの神、交通安全、安産、長寿の神
金刀比羅大神
海上安全、幸福開運、医薬、農業の神
淡島大神
医薬、病気平癒、まじない、温泉の神

歴史

白山神社の御祭神、菊理媛大神(白山大神)は別名を、白山比刀iしらやまひめ)大神と言い、加賀の霊峰白山頂上に祀られている女神さまで、 この神様を勧請して新潟の地に祀ったものです。菊理媛大神(くくりひめのおおかみ)は農業の神、海上の神、そして国家、 郷土の守り神として広く人々より尊崇されていました。

菊理媛大神は願うことを正しくよりよい方法でお導きくださり、乱れた糸をくくり整えるように融和され仲を取り持ち和す縁結びの神様であります。

白山神社の建立の年代は永禄(1558〜)・天正(1573〜)の二度の火災で旧記を失い知ることはできませんが、 延喜(901〜)とも寛治(1087〜)ともいわれています。しかし、元亀年中(1570〜)に、 白山神社別当だった宝亀院住職憲海が五寸の十一面観音銅像、宝剣、鏡を白山神社に安置したことが記録に残っています。 戦国時代には上杉景勝が戦勝の帰途に鏡と啓を寄進。当時すでに大社であったことがわかります。また、 明治元年の神仏混交の禁により十一面観音は宝亀院に引き渡され現存しております。なお明治六年には、政府が公園設置の布達をだすと、 公園を造るため松林の境内に点々と建立してあった摂社・末社を全部御本殿に合祀したため、御祭神が多いのです。

古く、白山神社は式内社に列せられ、延喜式神明帳に「越後国 沼垂郡船江神社」と記されております。また、大正十三年には県社に昭和五十六年には別表神社に列せられ昇格いたしました。

本殿は正保元年(1644)宝亀院住僧賢尊が再興を計画、長岡藩主牧野氏が自ら造営を監督し、正保四年六月十八日に三軒流造の本殿が竣工、藩主牧野忠成は能を献じ盛観を極めました。以来、祭日には能楽を奉納する例を開きました。新潟地震の後修理をなし現在に至っております。

拝殿は本殿造営の翌年、慶安元年(1648)の造営と伝えられております。宝永年間(1704〜)享保元年(1716)延享四年(1747)には建替、修理の記録が残っております。昭和三十四年十一月には屋根が萱葺であったのを銅板に変え、その際に修理をなし現在に至っております。

境内は白山公園を含み一万坪あり、昔は参道の石橋のところに随神門がありました。


「くくりひめ」の「くく」とは、糸をくくるように人々の願いを聞き入れて下さる神さまであり、男女の仲を、糸をくくり整えるように取り持つ「縁結び」の神さまとして全国的にも有名であります。

はくさんさまは「結ぶ」御力に優れており、家族との絆を結ぶ「家内安全」、志望校との縁を結ぶ「受験合格」、良い取引、仕事に恵まれ結ばれる「商売繁昌」、お金との良い関係に恵まれ結ばれる「金運上昇」「開運招福」などのご利益があげられます。

また、女の神さまであり、繁栄を司り、繁栄の御力に優れ、境内には、子宝、子育て、安産にご利益のある道祖神など由来するものが多数あり、古くより、新潟の総鎮守、氏神さまとして、「子授け」、「子宝」、「安産」、「お宮まいり」、「初宮詣」、「七五三」にご利益があるとされ、毎年、多くのお子様がおまいりに訪れます。

そして、家族の繁栄、「子孫繁栄」、「家内安全」、商売、仕事での繁栄、「事業繁栄」、「商売繁昌」のご利益は新潟市内、県内では有名であります。

はくさんさまは、水を司る神さまでありまして、水には、心身を清める神秘的な力があるとされ、災いや厄など、災難、不幸をはらってくれる御力に富み、おはらいに特にご利益があるとされ、「厄除け」「厄祓」「八方除け」「災難除け」「車のおはらい」など、「おはらいといえば、新潟でははくさんさま」と言われるように、毎年、数多くの方が、おはらいを受けにおまいりに訪れます。もちろん、信濃川より日本海に出る海上の要所の守り神として、また、水の都、堀の張り巡らせた、柳都新潟の守り神として、水を司ることから、「五穀豊穣」「農産守護」「海上安全」「大漁満足」にもご利益のある神さまであります。

白山さまは、家内安全、商売繁昌、交通安全、厄除、建築、工事安全、海上安全、子宝、安産、縁結びの神様として霊験あらたかと言われております。「くくりひめ」の「くく」とは人々の願いを聞き入れて下さる神様、 糸をくくり整えるように男女の仲を取り持つ神様として、全国的にも縁結びの神様として有名であります。

新潟町の生成に深く関わり、湊町新潟の発展する中で、新潟総鎮守として新潟市民はもとより多くの方々に崇敬され現在に至っております。

はくさんさまはどういう神様ですか

白山大神さまは「菊理媛大神」と申され、別名を白山比刀iしらやまひめ)大神と申される女の神様であります。

白山比盗_社所蔵 青木哥彦 作
  1. 日本書紀に書かれている神様で、伊邪那岐、伊邪那美の夫婦の神様がけんかをしたときにお二人の間に入って、仲を取り持ったという神様で、ここから縁結びの神様と言われているのです。よく女の神様の神社におまいりすると、神様がやきもちを焼いてそのカップルは別れるなどと言われますが、菊理媛大神(白山大神)はけんかしている二人をより強く結びつけた神様ですので、別れるどころかより強く二人を結びつけて下さることでしょう。
    ここから「縁結び」の神様、「夫婦円満」「家内安全」の神様とされております。
  2. くくりひめの「くく」は、物事を「くくる」意味で、乱れた糸をくくり整えるように、男女の仲を取り持つ縁結びの神様であります。
    私たち日本人は古くより「むすび」を大切にしてまいりました。
    結婚することを古くは「妹背(いもせ)の契りを結ぶ」と申して、婚姻を結ぶことは、お二人が夫婦として結ばれるだけでなく、両家のご家族が結ばれ、代々のご先祖さまが結ばれることであります。そうした「むすび」の中で私たちの家は連綿と栄え続けているのです。
    人が一番初めに縁を結ぶのは親子の縁であります。
    人と人とのつながり、「むすびつき」により私たちは日々、生活しております。
    はくさんさまは日々の生活の中でよりよき縁を授けて下さり、より強く結んで下さる神様であります。
  3. くくりひめの「くく」は「ききいれ」とも解され、男女二神の仲取持ちをして、女神の言うことを男神に聞入れ、男神の言うことを女神に聞入れた功により負う名で「聞入れの神」であると言われております(平田篤胤)
    いつでも、どこでも、あなたが正しく願う誠の声を聞かれると、直ちに「聞入れ」て下さり、一番いい方法で、あなたを救って下さるのです。はくさんさまはお願いを聞入れて下さる神様なのです。
  4. くくりひめの「くく」とは木の祖神「句句廼馳の神」(くくのちのかみ)と申し上げて木がぐんぐん伸びていく様を。また、宇宙の大生命がぐんぐん伸び栄えてゆく生命の勢いを「くく」と表現し、「理」は「天の神を理といい、地の神を気という」と古書にあり、天の神様の事で、「媛」は女神、母性、万物を生み出すという意味であります。伊邪那岐、伊邪那美命は山川草木いきとし生けるものをお生みになった神様で、生命の発展向上を表現された神様で、はくさんさまは万物の生命の弥栄、すなわち繁栄をつかさどる神様です。ご家族にあっては、子孫繁栄、家内安全、また、安産祈願や子授け、子宝祈願、お子様のお宮まいりや七五三で益々のご家族の繁栄を。また、商売、仕事では、事業繁栄、商売繁昌の神様としてもご利益があるとされ、ご利益は多岐にわたっており、新潟市内、県内では有名であります。
    管窺武鑑、北國太平記によると、天正十三年(1585)白山島には上杉景勝と新発田重家が戦った白山城(新潟城)があり、城内に白山大神をおまつりし、商人であふれ賑わっていたという記述が見られ、当時より商売繁昌の神として崇められていたのがわかります。
  5. 「くくる」は水を潜る(くぐる)ということから禊祓(みそぎはらえ)の神様でもあります。古くより水には神秘的な力が宿ると信じられ、けがれや汚き心を除き、身を清める、心を清める力があるとされてきました。これは災いや厄など災難、不幸をはらってくれる御力のことであり、厄除け、災難除け、車のおはらいにご利益のあるおはらいの神様であります。
  6. くくりひめさまは女の神さまで生む力と育て成育させる力を持った神様でいらっしゃり、生命の親神様と崇敬されております。白山から流れでる生命の源、水を司り豊富な水資源により北陸の流域に農耕、殖産興業を起こし人々の生活を豊かにして下さいました。境内には米蔵が建ち並び秋には収穫の感謝を込めたお米がたくさん奉納されました。また、神社は湊の先端に位置し燈明は海上の目印となり、海上安全、大漁満足の神様としても崇められておりました。その後、堀が張り巡らされた新潟の湊町を水害から守って下さる水の神様であり、五穀豊穣、農産守護の農業の神様でもあります。境内には、子宝、子育てにご利益のある道祖神など由来するものが多数あり、古くより、総鎮守、氏神さまとして、多くのお宮まいり、七五三のお子様がおまいりに訪れます。
  7. 白山さまは地主神、産土神として新潟町の生成から新潟の発展に御力を尽くされた新潟開拓の守護神、鎮守さまとしての御神徳を発揚される建築、 家造りにもっとも関係の深い神様であります。家を建てる時は工事始めの地ならしをすると同時に土地を祓い清め地鎮祭を行い安住の地といたしましょう。
 
 

境内のご案内

蛇松明神

陀松神社

蛇松神社大祭 5月18日

新潟の鎮守と仰ぐ白山神社の蛇松明神は、昔より巳成金(みなるかね)の信仰、縁結び、延命除災、商売繁昌の神として多くの人々の隠れた信仰があり、また蛇は巳の神として白山神社の神使いでもあり、霊力に富み霊聖なるものとして神霊と大変関係深いのであります。 申すまでもなく、巳は「み」「身」に通じ、金銭財宝、並に、福が身につくという縁起によるもので、又この巳のお詣りを昔から福詣りとも申し巳の日は弁財天の縁日でもあります。 また、蛇の絵馬は落つる蛇のウロコにかわり願いを書いて捧げればその願いが成就すると言い伝えられる心願成就の神様で今も多くの方々が絵馬を奉献されております。絵馬には、資産運用、不動産、宝くじ等お金にまつわるお願い事が多く書かれております。


はくさんの蛇松(じゃまつ)にはおもしろい伝説が伝わっております。

信濃川の洪水のため白山一帯が大洪水に見舞われ、人々は自分の命を守るのもやっとというときに、信濃川の川中に一条の光り輝くものをみつけました。これはただごとではない。なにか神様のお告げではなかろうかと思い、当時の神主小林能登守直養が一心不乱に船をこぎ近づいてみると一匹の白い蛇が水におぼれて息もたえだえ、これは可哀想にとひろいあげ、神社の一本の松の梢に助けてあげました。すると、白い蛇は美しい姫へと変わり、「この御恩は決して忘れません。この神社の守り神となり末永くこの地の繁栄と難病苦難の人々を守るために祈ります」と言って、この世では到底見ることのできない美しい姫は美しい声を残し、姿を消してしまいました。
その時、見る見るうちに老松の幹の皮は蛇のウロコのように変わり、今までやむことを忘れたかのように降り続いた雨は、大空の真ん中より一条の光が差したかと思うと、大空は一面に蛇のウロコの如く、雲は切れ始めたのであります。そして雨はやみ、水は引き出したと言い伝えられております。
この霊験あらたかなる松は、その日から蛇松明神さま、蛇松さまといわれ毎日毎日おまいりに訪れる人が絶えなかったそうであります。やがて、おまいりに訪れる人々の間で蛇松さまの皮を煎じて飲めば万病たちどころに全快するという噂が広まり、毎日のように人が押し寄せ松の皮がむしり取られていきました。

5月18日の晩、神主の小林能登守直繁はいつものように枕元に刀を置いて寝ていると、女の衣擦れの音が聞こえてきました。さらさらと衣擦れの音は次第に近くなり、やがて女の近づいてくる気配がするのであります。「はて、こんな真夜中に」といぶかしながら、ふと枕元をみると、行灯の灯がぼんやりとあたりを照らしていました。その時である、するすると音もなくふすまが開いたのである。ハッと思う間もなく、さらさらと衣擦れの音もしとやかに入ってきたのは、すごく美しい年若い女である。そして静かにに枕元に座ると、しくしくと泣き始めたのである。驚いて、ばっと跳ね起き、叱り付けるような口調で「この真夜中に、何者じゃ。何用あってまいったのじゃ」すると女は泣きながら「ご不審はごもっともでございます。実は私は神社の裏の蛇松の精でございます。近頃、町の人々が私の皮が薬になるとて、毎日のように剥ぎに参ります。生身である私は皮を剥がされる痛さのために、毎日毎日泣き暮らしているのであります。なにとぞ不憫と思召してお助け願いとうございます。お願いでございます。」と繰り返し訴えるのである。小林能登守は「願いの筋はわかった。明日早速何とか遣わすから、今夜はこれで帰ったらよかろう」すると蛇松の精はようやく帰ったという。
翌朝早く、小林能登守は神殿の裏へ行ってみた。すると、昨晩、蛇松の精が訴えたように松の中ほどに心持ち這うように横に伸びて、木肌が蛇のウロコのようになった木がある。そしてその下のほうには、町の人が剥ぎ取って行くのであろう、皮が剥がれて松ヤニが生々しく流れていた。それを見た小林能登守は人が入れないように松を玉垣で囲い、しめ縄を張り巡らせました。すると蛇松の精は出てこなくなり、おまいりに訪れる町の人々の願いが叶ったり、お金持ちになったり、病気が治ったり、健康に長生きする人が多くなったそうです。そこから、心願成就、延命除災、健康、長寿にご利益があり、巳成金(みなるかね)の信仰、商売繁昌、お金持ちになれる、福が身につくという噂が広まり「福まいり」とも言われ、昭和35年6月に蛇松明神の神社が建てられました。現在ではこの伝説のウロコに代わり蛇の絵馬に願い事を託し捧げれば、その願いが成就すると言い伝えられ、白山神社の神さまの使い、御神木とされ、本殿裏とわかりずらい場所にありますが、多くの人が毎日手を合わせ、おまいりに訪れます。
蛇松神社は白山神社本殿裏に鎮座しており、本殿のおまいりするところの左側に赤い鳥居が建っております。そこから地下通路を通ると本殿裏へ抜けられるようになっております。抜けますと再び鳥居があり、蛇松神社があります。蛇松神社の後方にひときわ大きな松があり、それが「蛇松」です。一月の初巳の日や、毎月の巳の日には大勢の方が、蛇の好物である卵を持っておまいりに訪れます。
多くの新潟の方に隠れた信仰がありましたが、近年のパワースポットブームでひそかに新聞、テレビ、雑誌等で取り上げられるようになり、再び注目を集め、現在では県内外より多くの方がご利益を求めておまいりにいらっしゃっております。

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黄龍神社

黄龍神社大祭 5月3日  秋祭 10月16日

御祭神
黄龍八一分身金鶏供養宝船大権現
おうりゅうひのもとぶんしんきんしくようたからふねだいごんげん

御神威ならぶものなしと云われる大神にて産業、経済、病気平癒などにつき特にお聞き届けありと仰せられる。

御神徳
八方除け、方位除け、病気平癒、身体健全、建築の神

[御由緒]
陽悦詞に御名を拝し奉る御祭神、黄龍八一分身金鵄供養宝船大権現。黄龍大権現は、天照大神の御出現に先立つこと遙か古より世に出でられて土地造りをせられたる大神にして、 深き歴史を有せられる。災難消除・方除けの神様であり、鬼門金神の悪い方向を避けて善事に導くことで建築、開拓、土地、 産業に御力を尽くされ、また、転宅、嫁入、旅行など、今までと異なった生活に入らんとする方々のため、量り知れない霊力によって 無事安全、息災、病気平癒の祈願成就の霊験あらたかな神様であらせられます。新潟地震、地盤沈下と相次ぐ新潟にこの災害を防ぎ再び起こらぬようにと地主神、黄龍神社を当社北西の方角に昭和41年に 建立されました。

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黄龍神社(おうりゅうじんじゃ)
 

松尾神社(まつおじんじゃ)

松尾神社大祭 4月16日  秋祭 10月16日

御祭神
大山咋神、中津島姫神(市杵島姫神=弁財天)

京都 松尾大社より御分霊を戴く。古くは現在の白山公園内に松尾神社がありましたが、白山公園造成にあたり、明治六年白山神社本殿に合祀されました。その後、昭和三十九年に現在のこの地に再興されました。 醸造の神様として新潟県内の酒造、味噌、醤油、酢等の製造、販売の方々より古くより格別の崇敬を受けております。米処、酒処新潟の守護神とされております。
市杵島姫命は弁財天とされ、財宝の神、美の神、また琵琶を持った像でも知られるように芸能の神とされ、知恵、財福、戦勝、子孫繁栄の他、音楽、技芸、弁舌など芸能に関する神威を発揮する神であり、新潟の芸事の神様、創造の神として古くより広く厚い信仰を集めております。

京都の式内社、官幣大社、二十二社の一社である松尾大社の御祭神・大山咋神(おおやまくいのかみ)、市杵島姫命(いちしまのひめのみこと)を勧請して祀ったものです。

◇大山咋神(おおやまくいのかみ)
京都の松尾大社と同じ山を司る神様。醸造、お酒の神様でもあります。スサノオ神の孫にあたります。
◎ご利益:国土開発・酒業繁栄・子孫繁栄・開運厄除など。

◇中津島姫命(なかつしまひめのかみ)市杵嶋姫神(いちきしまひめのかみ)
弁財天と同神化された海の神様。宗像三神三姉妹の中でも美人の神様として有名です。
◎ご利益:海上安全・開運招福・金運上昇・芸能上達など。

松尾神社 写真
 

大黒さま(だいこくさま)

7月30日

御祭神
大国主大神(おおくにぬしのおおかみ=だいこくさま)
御神徳
商売繁盛、営業繁栄、社運隆昌、開運招福、良縁結び、家庭円満、家内安全、家運隆昌

出雲大社の御祭神、大国主大神は縁結びの神として広く知られておりますが、縁結びとは単に男女の縁を結ぶだけでなく、私どもが立派に成長しますように、社会が明るく楽しいものであるようにとお互いの幸福のためのすばらしい縁がむすばれるということなのです。仕事や学業、夢など様々な福とのご縁もかなえてくださるとされております。だいこくさま、福の神として親しまれている大国主大神さまが、多くの方々から広く深い信仰を受けておられるのもこの「むすび」という愛情を私どもに限りなくそそいでくださるからです。皆様方が、ダイコクさまの幸せのご縁をいただかれて、明るく安らかに過ごすことが出来ることと思います。
霊峰白山の大汝峰の頂上にも大黒さまがお祀りされており、当社でも縁深くお祀りしております。現在では米俵に乗り福袋と打出の小槌を持った福の神の姿から、子宝、子授けの神ともされております。大黒さまは福の神で、商売繁盛、家内円満、いつもニコニコの御神徳を有され、特に商売に関わる方々に福を授ける神として、新潟の繁盛大黒として古くより厚い尊崇を受けております。

大黒様 写真
 

住吉神社(すみよしじんじゃ)

8月上旬(新潟まつり)

御祭神
住吉大神(底筒男命、中筒男命、表筒男命)、息長足姫(神功皇后)
御神徳
商売繁盛、心願成就、大漁海上安全、交通安全、開運厄除、五穀豊穣、子授け、和歌の神

享保6年(1731)洪水により、阿賀野川の流れが変わった影響で新潟湊の水深が浅くなり入港船舶が減少したことから、港勢回復、商売繁盛を願う切実な願いにより、大阪住吉大社より住吉大神(底筒男命、中筒男命、表筒男命)息長足姫(神功皇后)を勧請して祀ったものです。
延享5年(1748)には白山神社境内に住吉神社が建立されたとされております。現在の本町13、14番町に鎮座していた湊祭(住吉祭)発祥である湊元神社の住吉神もその後合祀されております。

明治6年に白山公園造成にあたり住吉神社は取り壊され、白山神社本殿に住吉三神と息長足姫は白山神社本殿に合祀されます。その後、住吉神社は大正2年に再建され、玉橋脇に「新潟湊鎮護 住吉神社」と石の大きな社号標が建立されているように、 湊町新潟の商売繁盛、海上守護の住吉大神と神輿をお祀りしております。この神輿は新潟まつり(住吉祭)に際して、御座船に奉戴して市中を巡行する神輿で安政5年(1858)に造られたものであります。

住吉神社
 

御稲御倉(みしねのみくら)

10月17日

御祭神
御稲御倉神、稲荷大神
御神徳
五穀豊穣、農事安全、商売繁盛

御稲御倉は伊勢神宮第59回式年遷宮に全国民の浄財によって昭和28年伊勢神宮に建立されたものです。
お供えする抜穂の御稲を納めるものでありまして、外宮にはなく内宮にのみ建てられてあるもので ご正宮に比べると小さいですが伊勢神宮独特の唯一神明造であります。当神社が昭和39年の新潟地震において御本殿、 御社殿が倒壊寸前になり宝蔵庫が倒壊し、復興に全力を注いでる中、昭和49年、光栄にも由緒ある御稲御倉を御下賜頂きました。

稲荷大神 = 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)

宇迦之御魂神は倉稲魂神とも記され、別名を豊宇気比売神(とようけひめのかみ)、保食神(うけもちのかみ)、大宜都比売神(おおげつひめのかみ)と申します。

「うか」「うけ」は古く、食物を意味する言葉であり、また、「稲荷」は「稲生り」「稲成り」イネナリ、イネニナルの意味であります。稲荷神像が稲を荷っているところから「稲荷」の字があてられたといわれております。

「稲」は収穫されて「米」となります。「米」は豊かさの象徴であり、古来より貨幣と同じように扱われてまいりました。貨幣価値を持つ米は、経済に通じるとされ、お稲荷さんは商売繁盛の神として仕事で成功を願う人々の参詣が途絶えません。

米一粒が何倍にも増えることと同じように財が増える、商売繁盛、繁栄のご利益に優れた神様が稲荷大神であります。

このように稲荷大神は、古来より稲作をはじめ、農業の守護、五穀豊穣はもとより、商売繁盛、事業繁栄、子孫繁栄のご利益がある神様として広く信仰されております。

また、2月の初午の日は「福まいり」とされ、特にお稲荷さんの強い力にあずかれるとされ多くの方がおまいりに訪れます。

皇御稲御倉(みしねのみくら) 写真
 

道祖神

1月15日

御神徳
安産・子宝・子授け・縁結び・夫婦円満

外から襲いかかる疫神悪霊を祓い、男神、女神が刻まれているところから、子授け、子育て、縁結び、夫婦円満に霊験ありと言われる神様です。道祖神は一般的にサイノカミと呼ばれ長野、山梨などに多いのですが、日本の最北端に安置されたということでその意義は大きいものがあります。 夫婦で餅をついている道祖神で、仲良く餅をつく姿がなんだかとても微笑ましいのですが、臼は女性、杵は男性に見立てられているとのことで、実はとても意味深でもあります。

戌の日や土日には安産、子宝のご利益があるということで、遠方よりおまいりに訪れる方々で列ができ、熱心におまいりする方々が大勢おられます。

道祖神 写真
 

御神木「むすびの銀杏」は子授けの木

白山神社の御神木である「むすびの銀杏」は夫婦の二本の銀杏です。古くより恋愛や夫婦仲の願いが実をむすぶようにかなうということで、縁結びの御神木「むすびの銀杏」として信仰されております。
いつのころからか、「むすびの銀杏」にさわると、いいご縁がいただけて子宝に恵まれ、安産で元気に育つということから、「子宝の銀杏」「子授けの銀杏」と呼ばれるようになりました。
夫婦の銀杏はむすびの力により雌雄の木から多くの実を結ぶ御神木です。同じように、お二人を結び、子宝に恵まれるとされております。

御神木 写真
 

縁結びの御神木

白山神社には縁結びの御神木「むすびの銀杏」があります。
おまいりするところの左側にありまして、樹齢約200年とされております。

いいご縁がありますように。
あの人と結ばれますように。
より強く二人が結ばれますように。

という恋愛や夫婦仲の願いが実をむすぶようにかなうということで、縁結びの御神木「むすびの銀杏」として、古くより信仰されております。

御神木 写真
 

はくさんさまは歯の神様・医療安全の神様

江戸時代中期、最後の女帝として知られる後桜町天皇(1740−1813)が歯痛で苦しんでおりました。女官が白山神社(東京)から持ち帰った神箸(しんばし)と神塩をつけたところ、たちまち歯痛は治ったという。そこから白山神社には「歯痛平癒」の御利益があるとされるようになりました。
歯痛というのは風邪と同様、人間にとって最も身近な病気で、なおかつ万病のもとでありました。歯科医は江戸時代から存在したようですが、当時、歯の痛みは生死に関わる問題だったため、人々は耐え難い痛みを鎮めるため苦しい時の「神頼み」「まじない」として『歯の神様』にお祈りしていたといわれております。

治療技術が十分でなかった時代にはなくてはならない信仰であったとされ、そこから現在では「医療安全」の神様とされております。
特に虫歯の痛みにはご利益があると伝えられております。これは白山の修験者の一人が荒行に耐え成し遂げたと伝えられる「歯痛止め」の業によるものと言われ、虫歯の痛みを和らげたということで、当時の多くの人々から篤い信仰を集めたそうです。
全国にも白山神社の箸を使うと不思議と歯の痛みが治まったという故事がたくさん残っており、宮中では初めて鉄漿(おはぐろ)をつけるときには、白山神社の神楊枝(昔の歯ブラシ)と神塩を使っていたと言われております。全国的に歯の業界や歯ブラシや虫歯対策用品等では知られた神様であります。
語呂あわせから「歯苦散」とも言われ、歯の苦しみが散じるとして、歯の痛みを止めるのに霊験あらたかな神様とされ、白山神社の箸を使うと虫歯にならないという話が残っており歯の悩みのある方々が多く訪れます。
正月には歯科医院や歯科学校の方々が一年の医療安全や患者さんの歯の悩みがなくなるようにと祈願にいらっしゃいます。
境内には歯科大学合格祈願の絵馬なども見られ、歯の信仰が若い世代にも浸透していることがわかります。

歯の神様 写真 歯の神様 写真

初宮詣り・お宮参り お宮参りご会食パック お宮参り写真パック
 
周辺案内図 画像を拡大する
 

白山神社 兼務社のご案内

本務である白山神社の他に、以下の3社の神事を行っております。

関屋神明宮(せきやしんめいぐう)

所在地
新潟市中央区関屋本村1丁目 [Googleマップ]
例祭日
8月26日
御祭神
天照皇大神、豊受大神
御神徳
衣・食・住の守護神

天正・永禄年間に信濃川河口地区の開発が西南より東北に及んだようであり、付近の関屋、新潟(古町一番町)、山ノ下の3地区が共に神明宮を奉仕して鎮守さまとして崇めたのは偶然ではなかったものでしょう。郷土のおぼろげなる古老の談に三社分霊説を唱えているのも根拠のないものとして排除することはできないでしょう。

新潟神明宮の創始が天正年間(1570年頃)、山ノ下神明宮の創始が慶長年間(1600年頃)に遡ることができるのに比べ関屋神明宮の起源のみそれより後代であることは到底信じられないことであります。

関屋地区は古記によると、宝永7年(1710年)村の移動があり、現在地から数町(約700メートル)東北の位置にあったそうです。旧位置を古新田と称しており、その前後に河欠けの為、河川敷中に埋没したというが、この旧位置での成り立ちもいつの年代であるか知ることができない。しかし、神明宮がその繁栄と共に先にあったことは推論することができる。新潟市史が関屋神明宮について創建時代不明と記しているが、これは古新田からの移転を傍らから証明するものであります。

新しい場所に奉安された後の本殿は益々村民崇敬の的となり、長岡藩領として村の初代大庄屋である齋藤金衛氏が奉納した「神明宮」という三文字の金文字大額は今日も保存されてあります。齋藤金衛は貞観年中(約200年前)に死亡した人でその壮年時代に奉納したとすれば二百数十年前のものになります。

このような由緒ある神社であるが故に明治22年4月の西蒲原郡関屋古新田と新潟市との合併に際しても、関屋神明宮は他との合併移動はさせず、住民は従来通り関屋神明宮を氏神とすることを条件としました。

昭和5年1月、関屋土地区画整理組合が工事に着手するにあたり、組合長齋藤巳三郎氏は関屋神明宮で地鎮祭を執行し地固めの鍬を打ち下ろしたことがあり、また、戊辰戦争後に免れた米沢藩の新潟総督、色部長門守の記念碑も現在の関屋下河原町二丁目に建立され、遥かに信濃川を臨み、遠く弥彦、角田の霊峰に対し、歴史的にも産業的にも地域の全生活と交渉を持ち、生きたる神社として区内二千余戸の崇敬の的として、四時参拝者の絶えることがないのを見ております。

昭和12年8月 初代氏子総代代表 剣持宗太郎 著
昭和53年7月 茂野與吉 訳
平成24年8月 齋藤忠正 話

 

古町 大山祇神社(ふるまち おおやまづみじんじゃ)

所在地
新潟市中央区古町通3番町 [Googleマップ]
例祭日
旧暦4月22日(現在5月24日)
御祭神
大山津見神、木花咲耶姫神、大物主大神
御神徳
郷土の守り神、安産、子育て、福徳円満

御祭神は大山津見神(おおやまつみのかみ)、木花咲耶姫神(このはなさくやひめのかみ)、大物主大神(おおものぬしのおおかみ)の三神であり、昔から「山の神様」と呼ばれ尊崇されてまいりました。大山津見神は山の神であり国土、郷土を守る神様。木花咲耶姫神は富士山に祀られる神で桜の花の美しき如く、すべての物を美しく抱擁する神様で、安産や子育ての神様とされております。大物主大神は大国主大神(大黒さま)の和魂・幸魂・奇魂(にぎみたま・さきみたま・くしみたま)の神様で、福徳円満、人を幸福にする神様です。

 

白龍大権現(はくりゅうだいごんげん)

所在地
新潟市中央区本町通6番町 [Googleマップ]
例祭日
8月17日
毎月17日 午後6時よりおまつり・おはらい
御祭神
白龍大権現
御神徳
商売繁盛・縁結び・家内安全

昭和28年4月のさる日、当時三島郡大河津村の新信濃川に一体二頭の竜神像が漂着した。
同村五千石小学校三年生古沢忠市君が友達と登校の途中、中学校付近の蒲原用水に藻屑と一緒に異様なものが流れてくるのを見つけ友達と一緒に引き揚げたところ二匹の大蛇が縄のようにからみ合って顔を見合わせている木像である。極めて古いものでどこかの祭神として祀られていたものが雪どけ洪水で信濃川を流れてきたものとして忠市君の野中才では福が来たと大騒ぎであった。
竜神像は忠市君の祖父市右衛門さん方に安置されたが、新聞やラジオで報道されたので遠近各方面からおまいりが絶えず古沢家でも混雑していた。

これよりさき新潟市の本町通では商店街繁栄策としてその中央部の空地に神社建立の議が纏っていた。商店街協同組合(理事長小石栄作)では前段の報道を見るやこの縁起のよい龍神こそ本町通にふさわしい祭神であると執心、関係者相諮り古沢さんの意を通じて本町通に遷座したい旨懇願請した結果ついに古沢さんの厚意ある諒承を得て、いよいよ本町通に龍神は輿入れすることに決った。

偶々これに前後して三条市八幡小路女祈祷者大竹トキさん(当時70歳)が新潟警察署に龍神像の落主の旨申し出があった。
それは同年二月下旬信州軽井沢から像を持ち帰る途中小千谷市に立ち寄り雪道を歩いて信濃川の橋の上に来たとき、ソリをよけようとして転び背にしていた像を故事縁起が書かれた巻物と一緒に川に落としてしまったのだといい、この像は軽井沢で有名な元外相松岡洋右氏から拝領した神像で霊験あらたかな神像であるとのことだった。

そこで商店街側では時の警察署長を介して大竹さんを堂守りにお頼みすることにして本人の満足を得ていよいよ4月17日に大河津から本町通の小石理事長宅へ仮遷座の運びとなった。

こうして祭神と神社建設の方向が本決まりとなった喜びの裡に商店街の協力と付近関係者の支援で着々と実行に移された。昭和28年8月17日をトとして白山神社小林宮司の奉仕によって多数来賓の下に厳粛なる遷座式が営まれその社名も白龍権現と尊称本町通及び近隣の鎮守として安置して毎月17日をお祭日として今日に至っている。

本祭神は前にも書かれた通り丈30センチ、幅12センチ程の木像(材質作者不明)蛇体像で二匹の大蛇が縄のようにからみあって稲荷さまのような頭(顔)が向かい合わせている歓喜像である。
昔から蛇体は金の神として商売繁盛の象徴でありからみあった歓喜の様は男女縁結びの象徴である。
白龍権現建立以来、商売繁盛、縁結びにあやかる参拝者が引きも切れない故もここにあるのである。

現在でも本町に買い物に訪れる人々が多く参拝に訪れ、毎月17日にはおはらいが行われ、8月17日には夏祭、2月3日に節分祭が盛大に行われ、地元にみなさんに愛されている神社です。