白山公園開園150年(1873年→2023年)

白山公園開園150年(1873年→2023年)

文明開化に始まる白山公園 History

安政5年(1858)「日米修好通商条約」で、新潟港は開港5港のひとつに選ばれました。戊辰戦争後の明治5年(1872)に最初の新潟県令(知事)となった楠本正隆は、白山神社のある地区を、文明開化を象徴する建物の並ぶ地区として医学校・新潟学校・師範学校など洋風の建物を建てました。従来の米蔵は壊されて裁判所と公園に。白山神社境内にあった米蔵や11の小さな神社、仁王門(随神門)は取り壊され、花壇や樹木を配した日本最初の都市公園新潟遊園(白山公園)が開園されました。
オランダ風回遊式庭園が特徴的な白山公園は、明治天皇巡行のために造られた築山「美由岐賀岡」や梅林、夏に見頃を迎える蓮池などからなります。造成された当時の空間構成は、現在まで大きく変わることなく維持されており、日本公園史における学術上・鑑賞上の価値が高く評価され、「国の名勝」などに指定されています。

白山公園150周年 「白山公園
「白山神社えにし

平成31年(2019)から、
150年をさかのぼる明治元年(1869)。
開港五港のひとつとなったことを機に
近代化へ向かう新潟では、
西洋文化をとり入れた、
まちづくりが進められました。

まちの経済拠点ともなっていたエリア、
風光明媚な「白山神社」境内に
「白山公園」も造営され、
明治6年(1873)、
東京の上野公園や芝公園などとともに
国内初の都市公園の一つになります。

令和5年(2023)、
「白山公園」の開園から150年。
深い縁で結ばれる
「新潟の総鎮守・白山神社」は、
まちの発展と
みなさまの幸せを願う場所で
あり続けます。

文明開化の国際都市にふさわしい
パブリックパークの場所に選ばれたのは
「白山神社」境内でした

江戸時代には北前船の寄港地。明治時代になると開港五港の一つに選ばれた新潟では、西洋文化を取り入れたまちづくりが進みました。東京から外国の領事が到着し、運上所(新潟税関)などの洋風建築が建てられ、国際港にふさわしい都市景観となっていきます。
そこへ、新潟県令(県知事)として赴任したのが、楠本正隆でした。
楠本県令はさまざまな行政改革を断行。国際都市としてふさわしいまちづくりを進め、堀や道路をととのえ、区画整理をして新しいまちを整備していきます。

楠本正隆/東京新橋の写真館で撮影した写真。外務省勤務時代の写真か。
写真・資料提供:新潟市歴史博物館所蔵

「白山公園」の造成も県令による開化政策の一つでした。
当時、「白山神社」境内あたりには町人の蔵が立ち並び、蔵に年貢米を運び入れる舟が信濃川や白山堀を行き交い、大変にぎわっていました。松原が広がり、信濃川越しに弥彦山や角田山、遠くに越後山脈をのぞむ景勝地だったことから、ここに西洋文化をとり入れた遊歩道が造営され、明治6年(1873)、東京の上野公園や芝公園とともに国内最初の公園となりました。

明治6年前後の造園中の白山公園/白山神社の元境内地に洋風の花壇を作っている。(左奥:白山神社本殿、右手前:新聞縦覧所)
写真・資料提供:新潟市歴史博物館所蔵

身分や貧富の格差なく誰もが利用できるパブリックパーク。文化的な公共空間は、明治の日本では新しい時代の象徴でもありました。遊歩道は当初、「新潟遊園」の名称でしたが、白山神社のところの公園、と市民に通称で呼ばれているうちに「白山公園」となったと伝えられます。
美しい景色を楽しめる公園には、多くの人々が訪れました。明治11年(1878)の明治天皇巡幸に合わせてつくられた築山「美由岐賀岡(みゆきがおか)」には、楠本正隆の銅像が今日もたたずんでいます。

白山遊園之図/明治14年
写真・資料提供:新潟県立図書館所蔵
「越後佐渡デジタルライブラリー(白山遊園之図/尾玉庄八)」からの転載

公園は人々の憩いの場
時代の最先端をいく文化発祥の地
150年の時を超えて残るもの

公園は、近代化の刺激を楽しみ、最新の情報を得ようとする人々でにぎわいました。
信濃川に運ばれる砂が徐々に堆積して、地形の変化で公園の敷地が広がると、博覧会などのエンターテイメント的なイベントも開かれるようになります。
明治時代に博覧会の思想は世界的に広まっていきますが、新潟でも、学びや新しい文化を楽しみながら体験できる、しかも風光明媚な中心市街地の「白山公園」は、博覧会会場にうってつけだったのです。

第18回全国特産品博覧会記念絵はがき
[現在:市役所本館]

写真・資料提供:新潟市文書館所蔵

明治・大正・昭和を通して「新潟勧業博覧会」「新潟築港記念博覧会」「特産品博覧会」「羽越線全通記念博覧会」などが「白山公園」で開催されています。福引といった娯楽イベントから、ロシア館や樺太館のパビリオンで北方の物産を紹介するような商業的な展示会まで、さまざまありました。

白山公園からの弥彦・角田望遠
[現在:美由岐賀岡(みゆきがおか)]

神社のすぐ脇を信濃川が流れ、遠くに弥彦山や角田山を見ることのできる、風光明媚な場所として人気でした。

平成元年(1989)「日本の都市公園100選」に選定された「白山公園」は、また、開設当時から現在まで空間がほぼ維持されて学術上、鑑賞上の価値が高いことから平成30年(2018)には国の名勝に指定されています。

昭和初期の白山橋
[現在:古町の鳥居、一番堀]

写真・資料提供:新潟県立図書館所蔵
「越後佐渡デジタルライブラリー
(新潟名所:新潟白山橋)」からの転載

昭和初期の白山公園
[現在:蓮池]

写真・資料提供:新潟県立図書館所蔵
「越後佐渡デジタルライブラリー
(新潟名所:新潟白山公園)」からの転載

「白山公園」は園内をぐるり回りながら、池や梅林、藤棚などを楽しめる回遊式庭園。蓮池にある「ラジオ塔」は昭和7年(1932)、NHK新潟放送局の開局一周年の記念に、ラジオ放送普及を目的に建てられた文化財的な価値のあるものです。現在も8時台と12時台に放送が流れています。
「白山神社」参拝とともに「白山公園」でゆっくりと、150年前の時代に想いを馳せてみませんか。

白山公園
はじまりから現在まで

  • 明治6年(1873)国内最初の都市公園のひとつとして認可
  • 平成元年(1989)「日本の都市公園100選」に選定
  • 平成30年(2018)すぐれた風致景観の価値があるとして
    「国の名勝」に指定
  • 令和5年(2023)白山公園開園150年

白山神社今昔物語

白山公園を空から見てみよう