白山さま なるほど豆知識
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白山公園開園150年②

官民ともに近代化をめざした150年前
最新の情報や文化は
すべて「白山公園」に集まってきました

日本の近代化に向けて、政府も国民も、まっすぐに突き進んでいった明治時代。開港五港のまち新潟町も、外国人や西洋文化を受け入れ交流をしながら、国際都市としての発展をめざします。
東京の上野公園や芝公園とともに、日本最初の公園となった「白山公園」も近代化の象徴のひとつです。太政官(明治政府)や楠本正隆県令(県知事)の近代化政策によって、「白山公園」が誕生したのは明治6年(1873)、ちょうど150年前のことになります。

楠本正隆/東京新橋の写真館で撮影した写真。外務省勤務時代の写真か。
写真・資料提供:新潟市歴史博物館所蔵

松原が広がり、信濃川越しに弥彦山や角田山、その背後には越後山脈を遠望する景勝地であること。白山神社の祭礼でにぎわうなど新潟町民の行楽地であること。白山神社境内地は無税地であること。こうした条件を満たしていることから、当時、整備中だった遊歩道は、太政官布達により公園に選定されます。
このオランダ風の回遊式庭園の造園には新潟の実業家・荒川太二が監督にあたり、荒川の出身地の三条の庭師が携わったとも、楠本県令について新潟へ来ていた著名な造園家・長岡安平が手掛けたとも言われますが、残念ながら詳細な資料などは残されていません。

最先端の情報がそこにある
大正・昭和へと続く公園の役割

人々の憩いの場であり、時代の最先端をいく文化発祥の地でもある公園は、近代化の刺激を楽しみ、最新の情報を得ようとする人々を呼び込みました。
信濃川が運ぶ砂が徐々に堆積して、「白山公園」に洲がつき、地形の変化で公園の敷地が広がって「新白山公園」が生まれると、博覧会などのエンターテイメント的なイベントも開かれるようになります。明治時代に博覧会の思想は世界的に広まっていきますが、日本の新潟でも、学びや新しい文化を楽しみながら受容できる「白山公園」のような、風光明媚でしかも土地が増えていく中心市街地の場所は、博覧会会場にうってつけだったのです。

第18回全国特産品博覧会 記念絵はがき
写真・資料提供:新潟市文書館所蔵

明治・大正・昭和を通して「新潟勧業博覧会」「新潟築港記念博覧会」「特産品博覧会」「羽越線全通記念博覧会」などが「白山公園」エリアで開催されています。当たりくじ付きの抽選会や福引などの娯楽イベントから、他県がパビリオンで物産を紹介する商業的なものまで、大小さまざまな博覧会がありました。北方の物産を紹介するロシア館や樺太館もありました。
また、昔をよく知るお年寄りによれば、当時の「白山公園」エリアには料亭、演芸場、野球場やテニスコートを備えた総合グラウンド、大きなトラがいる動物園まであったそうです。蓮池内にある「ラジオ塔」は昭和七年(1932)、NHK新潟放送局の開局1周年を記念し、ラジオ放送普及を目的に建てられた文化財的な価値のあるもので、現在も8時台と12時台に放送が流れています。
「白山公園」と縁の深い新潟総鎮守・白山神社は、これからも新潟のまちの発展とみなさまの幸せを願う場所であり続けます。

白山遊園之図/明治14年
写真・資料提供:新潟県立図書館
「越後佐渡デジタルライブラリー(白山遊園之図/尾玉庄八)」からの転載